日々感じたことなどを徒然と・・・最近は子育て記録と化しているカモ。
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The Giving Tree
2005年09月14日 (水) | 編集 |
むかし りんごの木と そのちびっこは 大の仲良しだった。
ちびっこは 毎日 りんごの木のもとに やってきて
木によじのぼったり 枝にぶら下がったり りんごの実を食べたり
木の葉を集めて冠をつくったり 疲れると大きな木の根元で昼寝をしたり していた。

ところが 少しオトナになったちびっこは ぷつんと遊びに来なくなる。
どうやら ちびっこは ガールフレンドができたよう。
りんごの木は すこし さびしそう。

ある日 ちびっこがりんごの木のもとに やってきた。
りんごの木は 大よろこび。
「さあ ぼうや わたしのみきに おのぼりよ。
わたしの えだに ぶらさがり りんごを お食べ・・・」
ところが ちびっこはこういった。
「ぼくは もう おおきいんだよ。木のぼりなんて おかしくて。
買い物が してみたい。だから お金が ほしいんだ。 おこづかいを くれるかい」
りんごの木は 困ってしった。自分の持っているものは 葉っぱとりんごの実だけなのだから。
そこで りんごの木は いった。
「それじゃ ぼうや わたしの りんごを もぎとって まちで 売ったら どうだろう。」
そこで そのこは 木に よじのぼり りんごを もぎとり みんな 持って行ってしまった。
木は それで うれしかった。
だが それから そのこは ながいあいだ こなかった・・・・木はかなしかった。

つぎに来たときは ちびっこは もうすっかり 大人になっていた。
りんごの木は うれしさ いっぱい からだを ふるわせ いった。
「さあ ぼうや わたしのみきに おのぼりよ
わたしのえだに ぶらさがり たのしくすごしておゆきよ ぼうや。」
しかし ネクタイをつけたおとこは つっけんどんに ことわって
「ぼくは あたたかい いえが ほしい。およめさんが こどもがほしい。
だから いえがいる。ぼくに いえを くれるかい」
といった。
りんごの木は困ってしまった。
「わたしには いえは ないのだよ。この もりが わたしの いえだから。
だけど わたしの えだをきり いえをたてることは できるはず。」
そこで おとこは えだを 切りはらい 自分の いえを たてるため みんな 持って行ってしまった。
木は それで うれしかった。
それから おとこはまた ながいあいだ こなかった。

そのつぎに おとこが来たとき りんごの木は うれしくて ものも いえない ほどだった。
「さあ ぼうや・・・・さあ ここで おあそびよ」
と 木は おとこに いった。
初老になったおとこが 答えていうには
「としは とるし かなしいことばかりで いまさらあそぶ気に なれないよ。
ふねにのって ここからはなれた どこかとおくへ ゆきたい。おまえ ふねをくれるかい」
今はもう 木のみきだけになってしまった りんごの木は
「わたしの みきをきりおとし ふねを おくつり。それで とおくに いけるでしょう・・・
そして たのしく やっておくれ」
と おとこに いったので おとこは 木のみきを切りたおし ふねをつくって 行ってしまった。
残ったのは りんごの木の きりかぶだけ。
木は それで うれしかった。



だけど それは ほんとかな。



それからまた ながいながい 月日がながれ去り
よぼよぼのおじいさんになった そのおとこが りんごの木の前に あらわれた。
りんごの木は
「すまないねぇ なにかあげられたら いいんだが。わたしには なんにもない。
りんごもないし・・・わたしにあるのは ただの 古ぼけた きりかぶだけ」
と 嘆くと
「わしは いま たいして ほしいものはない。
すわって やすむ しずかな ばしょが ありさえすれば。
わしは もう つかれはてた」
と 情けなさそうに おとこは いった。
りんごの木は 「ああ、それなら」 と背筋いっぱいのばし
「このふるぼけた きりかぶが こしかけて やすむのに いちばんいい。
さあ ぼうや こしかけて。こしかけて やすみなさい」
というと おとこはそれにしたがった。
木は それで うれしかった。


『The Giving Tree』 シェル・シルヴァスタイン 著
邦題:『おおきな木』 本田錦一郎 訳

※ 文章は要約してあります。
コメント
この記事へのコメント
追記
中学生の時、英語の教科書に載っていた文章。最近、思わぬところで再会し、改めて読み返すことに・・・

結局は「無償の愛」この一言に尽きると思うんです。あえて言うなれば、「母親」でしょうかねぇ。 どんなにワガママを言われても突き放さず与える、りんごの木。どんなにワガママを尽くしても結局は木のもとに戻ってくる、ちびっこ。 その根底には、冒頭の「大の仲良し」だったところにあるのです。深いところで築いた関係は、繋がったままだったのでしょう・・・ 初めて読んだ時は、りんごの木の行動がまったくわかりませんでした。奪われて、奪われて、失ってなお、ちびっこのためになって「うれしかった」というのですから・・・ でも、年齢をかさね人生経験が(ほんの少しデスガ)増えた今、読み返すと少しだけ理解ができます。それは、自己的でなく、他を思いやり、愛することを覚えたからでしょうか。 無条件に甘えられる存在があるということは、とても幸せなことなのだと思います。同時に、甘えられる側も、必要とされているということで、自分の存在意義を見出すことができるのではないでしょうか。 キレイ事なのでしょうが、現実にできるか、できないか、ということではなく、そういうりんごの木の気持ちを一人ひとり持つことが大切なのだと思います。
2005/12/29(木) 06:21:16 | URL | ラビ #v5T7g2TY[ 編集]
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